【独自】「危な!危な!嘘でしょ…」右折直後にドン…事故後相手は走り去る「携帯をイジっていたかで顔が照らされていた」 埼玉・越谷

埼玉県越谷市で右折直後に発生した交通事故が報告される。 事故の瞬間、「危な!危な!嘘でしょ…」という声が聞こえた。 事故後、相手の車両はその場を走り去った。 目撃者によると、相手は携帯電話を操作していた可能性がある。 事故の際、相手の顔が携帯の明かりで照らされていたとの証言。 警察は目撃情報を基に捜査を開始。 交通安全への注意喚起が求められている。

【入浴中の不慮の事故、沈黙守るワイルド恋人】中山美穂さん、最後の交際相手は「9歳年下」「大好きな音楽活動でわかりあえる」一緒に立つはずだったビルボード

新たなロマンスが世に出てまもなくの急逝だった──。12月6日、歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)が自宅で亡くなっているところが発見された。所属事務所は、「入浴中の不慮の事故」と死因を説明している。 『サンケイスポーツ』は今年の元日、中山さんとクラブジャズバンド「JABBERLOOP(ジャバループ)」などで活動するベーシスト・永田雄樹(45)さんの交際を報じた。永田さんは、数年前から中山さんのバンドのバンドマスターとして、コンサートやファンクラブイベントなどに帯同してきた。 「もともと中山さんが『JABBERLOOP』のファンで、共通の知人を介して交流が始まり、音楽活動の中で距離を縮めていったようです。永田さんは派手な緑色のロン毛とワイルドなビジュアルで、いかにもミュージシャンという個性的な佇まいの方です。 ちょっと強面な雰囲気ですが、真摯に音楽に向き合っており、ベースの話題となるとどこまでも語ってくれます」(音楽業界の関係者) 永田さんは12月1日、中山さんのコンサートツアーの初日を無事終えたことをInstagramで報告し、〈次は12/6、ビルボード大阪!〉と意気込んでいた。まさか中山さんが急逝し大阪公演が中止になるとは、このとき全く想像していなかっただろう。中山さんが亡くなった12月6日、前日出演したライブについて報告したのを最後に、永田さんのSNSは更新がストップ。沈黙を守り続けている。 中山さんは2002年、ミュージシャンで小説家の辻仁成(65)と電撃結婚し、パリに移住。2004年1月に長男が誕生したが、2014年に離婚し、親権は辻が持つことになった。離婚後は音楽家・渋谷慶一郎氏(51)と交際し、事務所もふたりの関係を認めていたが、2015年に破局が報じられた。それから約9年が経ち、久々の熱愛報道のお相手が永田さんだった。 「音楽をやっているときは解放される」 近年の中山さんは、音楽活動に力を入れていた。 「芸能界に復帰し、念願の音楽活動も再開するために、自らバンドメンバーを集めてリハーサルするなど頑張っていました。大好きな音楽活動でわかりあえる相手と結ばれたのは、自然な流れだったのだと思います。 いろいろオファーがある中で、歌の仕事が一番好きだったようで、『音楽をやっているときは解放される感覚がある』と嬉しそうに語っていました。地方ツアーでともに過ごす時間が長かった2人にとって突然の“別れ”となってしまいました。2025年の40周年ツアーも目前だったというのに……」(前出・音楽業界の関係者) かつて中山さんは、50歳を迎える心境を語っていた。 「私、人からいつも『絶対、誰よりも長生きする』って言われるんです。困ったものなんだけど。だから、この先もたくさん時間があるわけで、50歳になるからって、考えても仕方ないなあと思って(笑)」(『女性自身』2020年1月21日のインタビューより) 人生を謳歌し、いつだって“WAKU WAKU”を忘れずにいたミポリン。ご冥福をお祈りします。

中山美穂さんと同期の工藤静香、訃報当日の“悲痛なお願い”と2人にしかわからない“39年の仲”

ともに1985年(昭和60年)に芸能界デビューを果たした“同期”だった──。 《Instagramは、はしゃいでる写真やビデオがいっぱいなので、今回の突然の訃報はそんなところに追悼のコメントを並べられなかった》 ファンに向け、同期の訃報についてそのようなメッセージを送ったのは工藤静香。 「静香さんはスポーツ紙1紙のみに追悼コメントを寄せていますが、ファンクラブサイトでは、それとは別にファン向けのメッセージを出しています」(芸能プロ関係者) 「親友といっていい関係性だった」 12月6日、俳優・歌手の中山美穂さんが亡くなった。54歳だった。突然の訃報に世間やネット、SNSでは悲しみの声であふれている。それは中山さんが40年の月日を過ごした芸能界も同様で、多くの共演者やスタッフらが哀悼のコメントを発表している。 そのなかの1人、静香は中山さんと同じ1985年にアイドルグループ『セブンティーンクラブ』のメンバーとしてデビュー。同年に中山さんはTBS系ドラマ『毎度おさわがせします』でデビューしている。中山さんの初出演(ドラマ放送日)は1月8日、静香のレコード発売日は1月21日と、ほとんど同タイミングで芸能界に入った。ともに14歳だった。 「静香さんは最初のグループが振るわず解散した後、『おニャン子クラブ』に。 “ヤンキーキャラ”が受け、注目されるようになりました。 中山さんはアイドル歌手としてもヒットを飛ばし、デビュー年に出演した映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで注目の新人女優に。1987年には出演したTBS系ドラマ『ママはアイドル!』で演じた役柄・中山美穂の愛称“ミポリン”がそのまま本人の愛称として定着しました」(芸能ジャーナリスト) その後、静香はおニャン子クラブの派生ユニット『うしろ髪ひかれ隊』で活躍し本格的にブレイク。中山さんと静香、そして南野陽子と浅香唯を加えた4人は“アイドル四天王”と称された。 「中山さんと静香さんの2人は1987年にフジテレビ系のドラマ『おヒマなら来てよネ!』で共演。それをきっかけに公私ともに親交を深めていきました。それはプライベートでも2人で遊びに行くような親友といっていい関係性だった」(前出・芸能ジャーナリスト、以下同) 1980年代後半から1990年代初頭にかけて、中山さんは当時全盛期だった男性アイドル・田原俊彦との熱愛が幾度となく報じられた。半同棲、ハワイ旅行などなど。そんななか……。