俳優で歌手の中山美穂さんが12月6日、54歳という若さで天国に旅立った。浴槽でなくっているのが発見され、死因については「入浴中の不慮の事故」と発表された。昭和アイドルの全盛期を彩り、平成のヒットドラマを支えた雰囲気ある演技や歌……“ミポリン”の愛称で親しまれた彼女に再び逢うことは叶わなくなってしまった──。
中学1年生の時に原宿でスカウトされ、14歳で芸能の世界に身を置き、一線を走り続けてきた中山さん。アイドル、そして女優、アーティストとしての輝かしい功績の影で、39年間の芸能生活は激動そのものだった。
中山さんの“初ロマンス”のお相手は
「1985年に放送されたドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)でツッパリ少女役を演じて、アイドル“中山美穂”は鮮烈な女優デビューを果たしました。ファミコンが流行った1987年にはソフト『中山美穂のトキメキハイスクール』が発売され、ゲーム中に登場する電話番号に電話を掛けると、中山さん本人の音声で先に進むためのヒントやメッセージが聞ける触れ込みでしたが、彼女の声を聞こうとしたファンの間違い電話が増えてしまい、社会問題となりました」(スポーツ紙記者)
そんな人気絶頂期、中山さんは自身にとって初めての“初ロマンス”が報じられることに。お相手は、飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を集めていたアイドル・田原俊彦(当時26)だった。
「1988年に写真週刊誌に田原さんとのデートが報じられ、1991年にはふたりでハワイへの婚前旅行をワイドショーがキャッチしました。中山さんは子どもの頃から彼のファンで、当時ラジオで『恋してまーす。私は思ったことはパッとやっちゃうタイプ。明日でも結婚するかも』と発言し、ゴールイン間近と思われましたが、直後に破局しました」(同前)
田原との失恋を乗り越え、22歳となった中山さんは1989年から3年連続でフジテレビのドラマに出演。アイドルから女優へと転身を遂げた彼女を支えることになったのは、4つ年上の作曲家・井上ヨシマサ氏だった。1991年、自身の楽曲『rosa』を井上氏が担当したのがきっかけとなり交際に発展したが、その恋も長くは続かずピリオドを打った。