85年に放送されたドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)でツッパリ少女役でデビューした中山美穂さん。野生的な瞳と八重歯が印象的な美少女で、当時の中高生に圧倒的な支持を受け人気アイドルとなった。集英社発行の雑誌『週刊明星』はデビュー当時から彼女を追い続け、91年に終刊となるまで表紙登場回数は実に30回以上。まぶしいほどの彼女の美貌を記録した写真とともに、その人柄を振り返る。また、彼女がかつて『LEE』のインタビューで語っていた「死生観」とは…。
超多忙なアイドル時代を過ごす
デビュー当時はまだ15歳だった中山美穂さん。その実年齢以上に大人びたビジュアルは当時のアイドル評論家たちも「神秘的な美少女」と評した。その美貌は海外の人たちも魅了したようで、1985年12月5日発売号の『週刊明星』ではビデオ「na・ma・i・ki」のために訪れたイタリアのベニスのサンマルコ広場での様子をこう報じている。
撮影で大人っぽいイブニングドレスを着ると外人観光客が集まってきて「まるで(ロミオと)ジュリエットのよう」とたくさんのカメラが向けられ、ベニスの街で“おさわがせ”となってしまった。おまけにずっとついてきていた19才のイタリア青年にいきなり「ボクと結婚してくれ」と言われたのにはビックリ。「私はまだ15才よ」と丁寧にことわったが、「色々あって楽しい旅でした」とニコッ。
85年12月には映画『ビーバップ・ハイスクール』で映画初出演を果たし、同年末には日本レコード大賞 最優秀新人賞を史上最年少で受賞。当時の彼女は一体どんな暮らしをしていたのか。
1986年10月30日号の『週刊明星』では当時、ドラマ『セーラー服反逆同盟』のロケ中の中山さんをキャッチし、その多忙ぶりをこう報じた。
テレビ2本、ラジオ2本のレギュラーをこなし、人気歌手としてもフル回転して、たとえばこんなスケジュール。
6時起床、7時出発、8時渋谷集合。それからずうっと撮影で、終了予定夜10時。それが遅れて11時。家に帰って午前0時。で、翌朝の起床はナント5時
このようなハードな暮らしでどのようにストレス発散しているのかについて、中山さんはこう答えていた。
「あのね、いい解消法があるの。どんなに遅く帰っても、必ず友だちに電話するんだ。1時間話すこともざら」
気になるテレフォンメートは網浜直子や本田美奈子。網浜の場合、美穂がほとんど聞き役で、皆のことはお互いライバル視しながらも刺激しあっているらしい
喜怒哀楽は表に出さない徹底ぶり
『セーラー服反逆同盟』では同世代の仙道敦子や山本理沙らと共演した。撮影の待ち時間はキャッキャと華やいだ雰囲気のようだったが、そこに中山さんが加わることはなかったようだ。
「私ってすごい人見知りなんですよ。いいなと思ってもすぐに打ちとけられない。だから外側からみんなの楽しそうな姿を見て、うらやましいなぁと思ってる」
そんな中山さんの人見知りな一面をも含め、長く見続けてきた人物に話を聞いた。デビュー当時のエッセー集『透明でいるよ めいっぱい女の子』から1998年の写真集『ANGEL』(すべてワニブックス)にいたるまで5冊の写真集の編集に携わった元ワニブックスの編集者・池田清美氏は言う。
「出会った時から彼女はスーパーアイドルでしたが、物静かで、はしゃいだ感じもないし、大人しく非常に堅実な印象の少女でした。
自分勝手でわがままだとか生意気だとかはまったくなくて、やらなければいけない仕事を淡々とこなすクールな感じすらありましたね。人見知りというのは確かにあったと思います。
だから正直、長く彼女を見てきましたけど、彼女の大きな喜怒哀楽の感情を目の当たりにしたこともなければ、“こんなエピソードがある!”というほどの思い出は本当にないんです。
出会ったのは15歳でしたが、本当に最初からプロとしてのお付き合いをさせていただきましたね」
そんな池田さんだが、思い出すのはこんな不思議なエピソードだ。1991年に発売された写真集『SCENA miho nakayama pictorial』(ワニブックス)の撮影のためイタリアのベニスに行った時のことだ。
「ベニスのロケでは14世紀に建てられた屋敷を改装して作られた超名門ホテルに泊まりました。
ちょっと信じられない話かもしれませんが、そこで私は宿泊初日にものすごい心霊体験をしたんです。金縛りに遭い、軍隊とか民衆が私の頭上を行進してて、うなされた挙げ句、翌朝に40度近くの熱を出しロケ中にもかかわらず寝込んでしまったんです。
その後ミラノに移動しその話をしたら、美穂ちゃんが“実は私もあのホテルで金縛りに遭ってたくさんの幽霊を見てうなされた”と言うんです」
スタッフが珍しくスタッフにお願いしたこと
池田さんは中山さんも同じ体験をしていることに驚き、そこでベニスのホテルで中山さんが頼んできたことの意味を知ったという。
「実はそのベニスのホテルの2泊目で、美穂ちゃんが“スタイリストさんと同じ部屋で眠らせてほしい”とスタッフに頼んでいたんです。
私が美穂ちゃんとこれまで撮影でご一緒にさせていただいてきた中で、唯一の彼女からのお願いだったと記憶しています。それくらい、こうしてほしい、ああしてほしいと言うオーダーのない希少なスターでもありました」
この思い出は池田さんにとっても“プロとして我々の仕事に応えてくれていた中山さんに対し親近感を覚えたエピソード”だったようだ。
「自分にとっても不思議な体験を、まさか彼女までしていたのかという、不思議な親近感というか、なんというか。
あと彼女とのロケで思い出すのはサンタフェのペンションに泊まった時、夕食でカレーライスを作ってくれたことですね。スタッフのみんなを気遣ってくれる優しい方でした」
中山さんといえば女性の映画ファンからも評価の高い作品にも多く出演してきた。その一つが元夫である辻仁成さんの原作を映画化した『サヨナライツカ』ではないだろうか。
映画公開時に『LEE』の2010年1月号で受けたスペシャルインタビューでは「死」についてこんなことも語っていた。
「わかったことは、人にはいつもサヨナラが用意されているということ。いつ死ぬかわからないですもの。だから、生きていることを噛みしめながら生きていきたいって思います。杏子は、人を愛することでそれを痛感したんだと思うんです。だから、あるがままにひたすら愛した。演じながら、改めて杏子に共感しました」
人にはいつもサヨナラが用意されている。確かにそうだが、54歳のサヨナラはあまりに早すぎる。
取材・文/河合桃子
集英社オンライン編集部ニュース班