12月6日、渋谷区にある自宅の浴槽内で亡くなっていることがわかった歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)。所属事務所は死因について「入浴中の不慮の事故」と伝えている。
“ミポリン”の愛称でトップアイドル、そして女優として活躍した中山さんは1970年3月、長野県の自然豊かな町で生まれた。
両親は中山さんが3歳のときに離婚。それ以降、中山さんは母子家庭で育ち、親戚の自宅で過ごすことが多かったという。ところが、そんな彼女に大きな転機が訪れる。広く知られているように、母親が秋田県出身の男性と再婚したのである。激動の幼少期を過ごしながらも、中山さんが親を恨むようなことはなかったようだ。【前後編の後編。前編から読む】
両親が創業したレストラン「今もファンレターが…」
所属事務所『ビッグアップル』の創業者・山中則男氏も、かつて夕刊紙の取材に「(中山さんは)オーディションには何度も落ちまくっていました。それでも本人が決してデビューを諦めなかったのは、“お父さん、お母さんに立派な家を建ててあげたい”という明確な目標があったからでした」と、その親孝行ぶりを明かしている。
実際にデビューからしばらく経ったあと、中山さんは両親のために都内に家を購入。さらに2000年7月には義父ゆかりの地である秋田県横手市内に、ふたりが創作レストランを開業する機会を設けた。子育てが落ち着いた母親と義父はレストランの経営に携わり、中山さん本人もお忍びで通っていたようだ。店の現オーナーである古屋宰さんはこう語った。
「当時、私はシェフだったのですが、11~12年前に副社長(中山さんの義父)からお店を受け継ぎました。最後に中山さんがお店に来たときに、副社長づてで美穂さんが『古屋さんや若い人がすごく頑張っているね。そろそろ(レストランを)受け継いであげてもいいんじゃない』と話していたとお聞きして、とても嬉しかったことを覚えています」
経営を引き継いだものの、その店名は創業当時から変えていない古屋さん。そこには“アイドル・中山美穂”に対するある思い入れがあった。
「最近でも、美穂さんのアイドル時代のファンクラブの方からお店のほうに年賀状が届いたりするんですよ。美穂さんが亡くなった今思うのは、お店の名前を変えなくて本当によかったなということ。突然亡くなってしまったことはただただショックですが、これからは美穂さんの“生きた証”として店を守っていきたいと思います」
残された家族やファンの心の中で、中山さんはいつまでも輝き続けることだろう──。