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紅葉名所のモミジ「寿命」近づく…地元がつくった絶景を“次の100年”へ 香嵐渓が迎えた大きな転機

愛知県豊田市の香嵐渓(こうらんけい)はちょうど100年前、観光客を呼び込もうと植樹され、今では全国でも有数の紅葉の名所として広く知られている。しかし100年が経ち、モミジの“寿命”が近づきつつあることから、美しい景観を守るための取り組みが進められている。

■『観光で生きていく』…香嵐渓“誕生”のきっかけ

香嵐渓は東海地方を代表する紅葉の名所として知られ、毎年多くの観光客が訪れる。2024年は例年より2週間ほど色づきが遅れ、11月末にようやく見頃を迎えた。

およそ4000本のモミジが赤や黄色に染まり、人々を魅了するが、この絶景は自然に生まれたものではなく、長い年月をかけてつくられたものだった。

香嵐渓の紅葉は、江戸時代に香積寺の三栄和尚が参拝客を楽しませようと、お経を唱えながら1本1本モミジを植えたのが始まりとされている。

1924年(大正13年)には当時の町長や地元の青年団が、紅葉の名所にしようと寄付金を集め、およそ1000本のモミジを植える「大植樹」を行い、その後も植樹は続けられ、現在の香嵐渓が形作られた。

香嵐渓がある豊田市足助地区の観光協会に話を聞くと、当時の人々には“町おこし”への強い思いがあったという。

足助観光協会の岡本真知さん:
足助では主要な産業といっても木を売ったりとかですね、そういうのが主流だったので、先の時代を考えてそうなったと聞いております。「観光で生きていこう」というのがその当時からあったってことなんです。

あれから100年がたち、人々の願いは叶えられた。毎年11月には「もみじ祭り」が行われ、期間中におよそ60万人が訪れるという。

■幻想的なライトアップ…始まりのきっかけは“渋滞”

香嵐渓といえば「ライトアップ」が人気だ。264台のライトがモミジを照らし、巴川の川面を彩る。

幻想的なライトアップだが、始めたのは意外な理由からだった。

1970年代、マイカーが普及し人々の行動範囲が広がり、全国から香嵐渓を目指す車で道路は大渋滞となった。香嵐渓に向かう主な道路は2本しかなく、ようやく到着したことには日が暮れていることも多かったという。

そこで1988年(昭和63年)始まったのが、明かりで照らして紅葉を浮かび上がらせる「ライトアップ作戦」だった。

足助観光協会の岡本真知さん:
渋滞対策で行ったことなんですけれども、だんだんとそれが噂になって、夜も大渋滞という“オチ”になってしまったんですけれど。こんなに大規模なライトアップは他にはないと思っていて、昔のトンネルでよく見たオレンジっぽい照明を使っているので、とてもきれいに見えます。

■モミジに近づく“寿命”…絶景を次の世代に繋ぐための取り組み

全国にその名を知られるようになった香嵐渓だが、「大植樹」から100年が経ち、大きな転機を迎えている。

樹木医の大橋成友さんは10年以上前から、香嵐渓のモミジを「診察」している。木の状態をみるだけでなく、枯れ枝が落ちて観光客に当たらないようするなど、細かいところにも気を配っている。

2024年の猛暑ではモミジが水不足となり、木が傷むことが心配されたが、無事に乗り切ることができた。モミジは100年以上長生きできるが、木が弱ってきて色付きが悪くなることもあるという。

また、モミジとともに植樹されたスギの木が成長し、栄養がいきわたらなかったり、十分に日が当たらないことから、5年前から本格的な間伐を始めた。伐採したモミジから作ったストラップも販売されている。

香嵐渓のモミジを守るための間伐と植樹には多額の費用がかかるため、効率的な作業が求められる。

樹木医の大橋成友さん:
(老木に)お金をかけて一生懸命色々なことをすれば、多少は良くなると思うんですけど。本数が多いですから、年代差をつけたいと考えると。1本の木を一生懸命守るよりは、多少悪いなと思ったらあきらめるのも大事かもしれないですね。

豊田市も香嵐渓100年プロジェクトとして2024年度から7年間、毎年1000万円をかけて、弱ったモミジの伐採や植樹などを進めている。

足助観光協会でもモミジを守るため、2016年から「願掛けろうそく」というイベントを始めた。11月の週末に行われ、巴川沿いにグラスに入ったろうそくがおよそ800個並び、紅葉したモミジと神秘的な光景を作り出す。ろうそくは1個500円で販売され、モミジの植樹に役立てられている。

足助観光協会の岡本真知さん:


「景観を変えずに美しい香嵐渓を」ということで、どんどん植えていかないと間に合わないので、(願掛けろうそくで)皆さんには楽しんでもらえるし、こちらもモミジを守っていくために資金が必要ということで続いております。

100年かけてつくられた絶景を、これから100年も“愛される場所”に。香嵐渓の美しさと人々の想いは、次の世代に受け継がれていく。

足助観光協会の岡本真知さん:
地元の皆さん、香嵐渓ファンの皆さんもたくさんみえますので、期待を裏切らないようにこの先100年もみんなで守っていって、未来の子どもたちにも美しい香嵐渓を、ということで取り組んでいきたいと思います。

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