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京阪電鉄 30年ぶりに値上げ 車両更新や待遇改善のため

京阪電鉄は、車両の更新や社員の待遇改善のため、来年(2025年)10月から運賃を平均で12%余り、値上げすることを決めました。
30年ぶりの値上げとなります。

京阪電車•京阪13000系•13027F準急•出町柳行き•守口市駅•到着 - YouTube
京阪電鉄 30年ぶりに値上げ 車両更新や待遇改善のため|NHK 関西のニュース
京阪電鉄は、来年10月からケーブルカーを除く、全線で運賃の値上げをすることを決め、国土交通省に申請しました。
それによりますと平均の値上げ幅は12.4%で、初乗り運賃については、▼京阪線は現在の170円から180円に、▼大津線は170円から200円にそれぞれ引き上げます。
消費税率の引き上げによるものを除いた運賃の値上げは、30年ぶりとなります。
値上げの理由について会社では、▼人口減少やリモートワークの普及で旅客収入が減少する一方、▼車両の更新や社員の待遇改善などに必要な費用の増加が見込まれるためとしています。
今回の値上げによって、年間でおよそ45億円の増収が見込まれるということです。
京阪電鉄の山口淳 経営企画部長は、「鉄道事業への投資をこれまで抑制していたが、計画的に行う必要がある。安全で安心な旅客輸送サービスの提供を行うため、不足する費用の一部のご負担をお願いしたい」と話していました。
関西の私鉄では、去年(2023年)、近鉄や南海電鉄でも運賃を値上げしています。

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柳葉敏郎「僕は大好きでした」中山美穂さんへ思い ホームパーティーでの秘話「懐かしいな…」

俳優の柳葉敏郎(63)が17日放送のエフエム秋田「柳葉敏郎の昭和をご唱和願います」に出演。今月6日に都内の自宅の浴室で不慮の事故のため亡くなった歌手の中山美穂さん(享年54)への思いを語った。 柳葉と中山さんは1990年放送のフジテレビ系ドラマ「すてきな片想い」で共演した。 柳葉は番組冒頭に「12月6日、中山美穂さんが他界されました。ショックでした」と語り、心境を明かした。 2021年放送のテレビ朝日系ドラマ「ザ・ハイスクール ヒーローズ」が最後の共演だったとし、「何十年かぶりにお仕事をさせてもらったのが最後だった。僕は悪者の役で、ミポリンは生徒のお母さんの役だった。思い切りほっぺを平手打ちで叩かれるシーンがあるんですけど、その叩き方が優しかったな」と当時を回想。「事件ではないということで、発表はあったんですけど、寂しい悔しいという思いばかりですかね…。僕は大好きでしたからね」と、過去に中山さんに好意を寄せていたことを告白した。 中山さんとはプライベートでも親交が深かったといい、「ミポリンはね、何をやっても輝いているわけよ。何度か一緒にご飯を食べにいったり、仲間でみんなで集まったり。家にも遊びに来てくれたりして。家に来た時にすき焼きパーティーをしたんだよ」と明かした。 「ミポリンのスタッフやうちらの仲間、十何人集まったかな。鍋2つ用意して、ミポリンはどういうすき焼きが好きなの?と聞いたらいわゆる甘いのが好きだと。俺は甘くないのが好きで。そんなのすき焼きじゃないよ~って言われて。鍋2つあるからミポリンそっち作れ、俺こっち作るからって。それで皆で食べ比べしようという話しになって。それぞれ食べるわけよ。どっちがいい?って聞いたら全員甘いのって。懐かしいな」とすき焼きを巡る中山さんとの思い出を語っていた。

ばんばんざい・るな 第1子妊娠&グループ卒業を報告「人生の中でとても大きな選択だった」

ユーチューバーグループ「ばんばんざい」のるな(22)が18日、インスタグラムを更新。第1子の妊娠とグループ卒業を発表した。 るなは今年8月、ユーチューバーグループ「エスポワール・トライブ」のはんくんとの結婚を発表している。 この日は文書で「この度新しい命を授かりました」と報告。続けて「小さい頃からずっと、お母さんになるのが夢でお仕事も働いていた理由もお母さんになり将来子供からもかっこいいお母さんと思われたいとずっと思いながら、今まで頑張ってきました。そんな私にとって赤ちゃんがお腹にいるということは人生で何よりも嬉しい出来事です」と心境をつづった。 また「妊娠と同時にもう一つ、私はばんばんざいを卒業する事に決めました。…どちらも急な発表でびっくりをさせてしまいすみません」と発表。「妊娠をしてから想像以上に自分自身の体調の変化があったことが大きな理由」と説明し「すごく迷いもあり、人生の中でとても大きな選択だったと私は思います」と自身の決断を振り返った。 るなは「私は本当にこの子は誰に何を言われても全力で幸せにすると決めたしなにより私自身が強いママでいたいと思っています」と宣言。メンバーのぎし、みゆに対しては「ぎしくんみゆちゃんには本当に最後までありがとうという気持ちで感謝してもしきれないです…ぎしくんみゆちゃん。本当にここまで一緒に頑張ってきてくれてありがとう」と感謝を述べた。 卒業の時期については「12月31日まではばんばんざいとして3人で動画を投稿する」とし「残りの31日までは全力で動画撮影に挑みますので是非最後まで見てもらえると嬉しいです」と呼びかけた。

「二人ともすっごくかわいい」石田ゆり子、急逝・中山美穂さんとの“若き日の秘蔵写真”を公開 「あの笑顔が忘れられない」

女優の石田ゆり子(55)が12月11日までに、自宅浴室での不慮の事故により急逝した歌手で俳優の中山美穂さん(享年54)との若き日のツーショットを公開した。 この日、石田は《美穂さん、と最初は呼んでいた。私にとって中山美穂さんは、うまく言えないけど自分には絶対にない,何かを飛び越えたところにいる人だった。同じ年なのに、会うたびに緊張したし、でもなんだかドキドキしたのだ。出会う人みんなを吸い込んでしまうような、そんな魅力を持ったひと》とつづり、若き日の貴重なツーショットを披露。 彼女は続けて《サヨナライツカという映画で私たちはとても対照的な女性像を演じた。美穂ちゃんの演じる沓子(※とうこ)と私の演じる光子がホテルの部屋で対峙するシーンがあった。あのときの美穂さんの感情の揺れ,昂り、涙が目の奥に焼きついている。本当に,魅力的だった》と、過去に共演した際の思い出を振り返った。 さらに《何年か前、小さくて素敵なフレンチレストランでばったりあった時美穂ちゃんは、1人で颯爽とやってきて、私をみつけて、ゆりちゃん、と小さな声で言ってにっこり笑った。あの笑顔が忘れられないのです。ほんとうに綺麗な笑顔でした。みぽりん、心の中でそう呼んでます。残念です。早すぎます》と続け、在りし日の一場面を懐かしんだ。 「石田さんが懐かしんだ『サヨナライツカ』は2010年に上演された、切なくて美しい映画で、中山さんの情熱的な演技が話題を呼びました。 この映画の原作者は当時の夫である辻仁成さん(65)で、この頃は公私共に充実していたのではないでしょうか。 石田さんは日本を代表する美しい女優ですが、石田さんの目に映った中山さんの魅力は格別なものがあったようですでね」(女性誌ライター)  そんな石田の投稿に、ファンからは《ゆり子さんのお言葉胸にしみました。みぽりん、ほんと魅力的だったのが伝わりました。写真、二人ともすっごくかわいいです》《ゆり子さん、美穂さんファンの私はスクリーンに釘付けでした。あの空気感の写真をありがとうございます》《素敵な写真ありがとうございます これからもずっと大好きなお二人です》などの声が寄せられた。 あまりにも早すぎる中山さんとの別れに、多くのファンが悲しみに打ちひしがれている。

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