「救急車と消防車が駆けつけて…」俳優・中山美穂(54)さん急逝…自宅前に停まっていた「ナゾの一般車両」

歌手で俳優の中山美穂さん(54)が、12月6日正午ごろ、東京・渋谷区内の自宅にある浴室で亡くなっているのが発見された。   「中山さんが仕事に来ず、関係者が自宅を訪ねたところ、浴槽内で溺れているような状態でいるのが発見された。110番通報し、警察官や救急隊員が駆けつけて、その場で死亡を確認したそうです。 遺書や事件性を疑わせる外傷については確認されていないようです。また部屋の鍵がかかっていたことから事件性はないとの話もあります。警視庁などは、病死の可能性があるとみて亡くなった経緯を調べているようです」(全国紙社会部記者) 中山さんは今日12月6日、ビルボードライブ大阪でコンサートを行う予定だったが、正午過ぎ、「中山美穂の体調不良の為」として中止が急きょ発表されていた。 現場は7階建てマンションの一室 現場となった中山さんの自宅は、7階建てのマンションの一室。4階以下は芸能事務所などが入るオフィスになっており、5階以上が居住スペースになっている。16時には自宅前の道路に規制線が張られ、周囲には人だかりができていた。現場の様子を見ていた人物が語る。 「正午ごろ、近隣病院の車両が来てマンション前に停まり、何かあったのかな? と思っていたら、すぐに救急車と消防車が来て騒がしくなりました。誰かが出てくるところを見たわけじゃないので、何が起こったのかも、ニュースを見て知ったくらいで……。人だかりができて住民が困っていたところ、規制線が張られたようです」

9人死亡の中央道・笹子トンネルの天井板崩落事故から12年 遺族が祈りささげる

男女9人が犠牲となった中央道・笹子トンネルの天井板崩落事故からきょうで12年です。 事故現場近くでは遺族などが黙とうを捧げました。 この事故は2012年12月2日、中央道上り線の笹子トンネルで天井板が崩落。 車3台が下敷きとなり男女9人が死亡したものです。 事故から12年となった2日、遺族などが現場近くの慰霊碑で発生時刻の午前8時3分に黙とうをささげました。 その後の慰霊式で今年就任した中日本高速道路の縄田正社長が追悼の言葉を述べました。 中日本高速道路 縄田正社長: 「(社員に)事故を直接知らない世代が増えていく中、事故の記憶と教訓を風化させることなく安全を最優先とし自律的に行動できる人材を育成してまいります」 会社は事故原因の追加調査を行わないことを明言していて、遺族はなぜ事故が発生する状況になったのか、責任は誰にあるのかなど、いまだに持ち続けている疑問への回答は得られていません。 事故の原因について会社はこれまでの調査結果を丁寧に説明していくことにしています。

中山美穂さんが“週1ペースで会っていた大親友”は52歳男性芸人「美穂、もっと会いたかった」

お笑いトリオ、インスタントジョンソンのじゃい(52)が8日までに自身の公式ブログを更新。6日に都内自宅で、54歳で死去していたところを発見された歌手で女優の中山美穂さんを悼んだ。 じゃいはギャンブル好き芸人として有名。9月26日放送のフジテレビ系特番「アウト×デラックス2024 世界中の誰よりアウト集結SP」に中山さんがゲスト出演した際、「一番心を許している親友」として紹介され、スタジオに登場したほど仲良しな間柄だった。 じゃいは6日午後、自身のX(旧ツイッター)に「辛すぎるけど、泣かないように頑張ります」とだけ書いていた。そして7日午後、ブログを「ミポリン」というタイトルで更新。「突然の訃報だった。信じられない。今も実感が湧かない。事実を受け入れられないでいる。頭の中に靄がかかっているようにふわふわした状態が続いている」とショックを受けた様子で書き出した。 「彼女を初めて知ったのは中学生の頃だっただろうか? テレビで観るスーパーアイドル。遠い存在とも思わないくらい遠い存在の人。その時は会うことになることも、友達になることも想像すらしていない」と振り返った後、「8年前くらいだろうか? 友人に焼肉に誘われて行ったら、そこにミポリンが座っていた。ミーハーではないが、『あっ、中山美穂』くらいは思った。焼肉食べて、その後にカラオケバー的なところに行って、なぜか途中で友人が帰ってしまい、さすがにと思い、酔っている彼女を家まで送っていった。夜中3時くらいだったかな。次の日に友人から美穂ちゃんが連絡先教えてって言ってるとのLINEが。これが彼女と仲良くなるきっかけだった」と親友になったきっかけを明かした。 そして「その後、美穂ちゃんの親友の女性と知り合い、よく3人で遊んでいた。週1くらいのペースで会っていたんじゃないかな。3人ともに3月生まれだったので、毎年合同誕生会もしていた。一緒に旅行もした。ほんと、女子友って感じで、彼女が俺のことを『妹的存在』というのも頷ける。自分でも自分のことを女性らしいのか、男らしくないのか、そんな部分は自覚している。それでもこんなに仲良しな女性は今までいなかった。中山美穂を『美穂』と呼ぶことになるなんて思ってもいなかった。コロナで会う回数は減り、たまに連絡を取るくらいになった。中野サンプラザのコンサートがコロナで中止になった時は、凄く落ち込んでいた。ファンから愛され、ファンを愛していた。スーパーアイドルでありながら、1人の人間であり、1人の女性であり、でも環境からかやはり変わっているところもあって、魅力的で面白い存在。コロナも落ち着き、彼女のコンサートを観に行ったり、ご飯行ったりするようになったのは嬉しかった」と続けた。 さらに「アウトデラックスに一緒に出演したことは、一生の思い出だ。最近は、『コンサートの途中でマジックをお客さんに見せて盛り上げたいんだけど、マジシャンの友達いない?』という相談を受けていた。色々提案したんだけど、結局マジックをすることもなくこんなことになるなんて。美穂、もっと会いたかった、もっと話したかった。君は世界中の誰よりも輝いていた。『ただ泣きたくなるの』を聴いたら、こっちが涙が溢れてしまう。こんな僕を親友って呼んでくれてありがとう。歳を取るのは老いよりも、好きな人が居なくなっていくのが辛い。それでも辛さや悲しみを受け入れて前に進まなきゃいけない。人間は限りある命、自分もいずれこの世から去っていく。そしたらまた会えるかな? 美穂、いっぱいありがとう」とやるせない思いをつづり、追悼した。