「最期に会えてよかった」中山美穂さん 葬儀で離別息子と無言の対面…離婚後も「誰よりも会いたい」と願い続けた再会
12月6日に東京・渋谷区の自宅で俳優の中山美穂さん(54)が急逝してから一週間が経った。 8日に入浴中の不慮の事故で亡くなっていたことが明らかにされ、12日には、中山さんの公式HPで、同日に家族と所属事務所だけで葬儀を行ったことが発表された。喪主を務めたという実妹の中山忍(51)は、以下のコメントを寄せている。 《最近での、一番のお気に入りだったドレスを纏い、楽しそうに歌う姉の写真を中央に、好きだった色取り豊かな花々で飾っていただいた祭壇は、華やかでキラキラしていて、最後のステージのようでした。お別れまでのほんの数日間ではありましたが、子供の頃に戻って枕を並べ、姉の横顔を見つめながら眠りについたこの穏やかなひとときは、私の宝物となりました》 続けて、こう綴った。 《そして、何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした》 長らく離れていた20歳の一人息子が葬儀に駆けつけていたことを明かしたのだ。 中山さんは’02年6月に作家・ミュージシャンの辻仁成(65)と結婚し、フランス・パリに移住。’04年1月には長男が誕生したが、’14年7月に離婚している。離婚が成立するまで、インタビューではたびたび“子どもが最優先”であることを語っていた中山さんだったが、離婚協議中に男性との密会報道があり、離婚後に“親権を放棄した”という報道が出てしまうこともあった。 ただ、本誌12月10日発売号では、中山さんの知人の「彼女からは、“親権を譲ることが離婚を承諾してもらう条件だった”と聞いています」という証言を報じている。 そのほか、中山さんが交際していた音楽家との破局が報じられる直前、’15年9月〜10月頃にかけて更新していたTwitter(現X)の投稿からは、息子に会えない苦しみが滲んでいた。 《無論いちばん会いたいのは息子。絵本を読んだり子守唄を歌ったり。もう必要ないか》 《息子に色々買ってきたんだけど最近は直接渡せず。仕方ないね。お父さんとなかよくね》 《誰よりも息子に会いたい》(いずれの投稿も現在は削除済み) 中山さんと息子の関係については、’23年11月に公開された辻のWebマガジン『JINSEI STORIES』の記事に《母という単語は、ぼくらのあいだで長年、タブーになっている》という記述があるように、最近まで複雑のものがあったことがうかがえる。 結局、母子で会うことは最後まで叶わないまま、中山さんは帰らぬ人に。無言の対面とはなってしまったが、忍が2人の“再会”を知らせると、Xではこんな声が上がった。 《最期に息子さんと会えてよかった。どうぞ穏やかに》 《最後の最後に美穂さんの願いは届いたかな……ご冥福をお祈りいたします》 《美穂さん、最後は愛する息子と手を繋げてよかったね。息子君もママと会えてよかった。ほんとなら抱きしめたかっただろうな》 対面した関係者によると、不慮の事故を感じさせない綺麗な顔で亡くなっていたという中山さん。最愛の息子との再会を経て、安らかに眠っていることを祈るばかりだ。
中山美穂さん 10年ぶり再会の長男が自宅での対面後に“即刻帰国”していた理由 | 女性自身
「通夜にも告別式にも長男の姿はありませんでした。“自宅で最後のお別れをする”ことを父親である辻(仁成)さんも望んでいたようなのです」(中山さんの知人) 12月12日、中山美穂さん(享年54)の葬儀・告別式が都内の斎場で営まれた。実妹の中山忍(51)が喪主を務め、家族と事務所関係者ら約30人が参列したという。同日、中山さんの所属事務所は葬儀の様子をこう綴った。 《本日、青空が広がる清々しい天候の中、中山美穂の火葬を無事に終えました。葬儀は家族と事務所関係者のみで執り行われました。祭壇には、優しいピンクや清らかな白、明るい黄色の花々に加え、深紅のダリアがひときわ印象的に飾られ、美穂さんの情熱的で華やかな一面を思い起こさせるようでした。会場全体が色鮮やかな花々に包まれ、生前の作品や思い出の写真とともに、彼女の功績を皆で称える時間となりました。穏やかな雰囲気の中、故人を見送ることができましたのも、報道関係者の皆さまやファンの皆さまがご配慮くださり、静かに見守っていただいたおかげです。心より感謝申し上げます》 忍もこうコメントしていた。 《お別れまでのほんの数日間ではありましたが、子供の頃に戻って枕を並べ、姉の横顔を見つめながら眠りについたこの穏やかなひとときは、私の宝物となりました。そして、何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした》 中山さんは作家・辻仁成(65)と02年に結婚して、パリへ移住。04年に長男が誕生した。当時のインタビューでは《私にとって今一番大事なのは子供。だから日常こそ大切にしたい》(『LEE』’12年4月号)と語るなど、長男を溺愛していた。 だが、14年に離婚。親権は辻が持ち、中山さんは離婚後、約10年間、長男と会っていなかったという。前出の知人が続ける。 「彼女からは“親権を譲ることが離婚を承諾してもらう条件だった”と聞いています。しばらくして彼女に会ったとき、『子供に会いたいけれど、もう会えないんだ……』と悲しそうな表情をしていたことを覚えています」 辻はパリで長男を育て上げ、20歳を迎えた。そんななか、中山さんが急逝――。訃報を聞いた長男がパリから駆け付け、中山さんと最後の時を過ごしたというのだ。 「実は長男が中山さんと日本で再会するにあたって、辻さんは長男のことを誰よりも心配したそうです。彼は日本のメディアが連日、中山さんの訃報を伝えていたことも知っていたために、一般人である長男を日本のメディアからできる限り守るべく、葬儀への参列ではなく、中山さんの自宅での対面を望んだともいいます。そして、取材陣に気づかれてしまうことも懸念していたようです。そのため、長男はすぐさま離日したと聞いています」(前出の知人) 忍は最後、こうコメントしている。 《良いときも悪いときも別れ際に姉はいつも「じゃあ、忍、あとはよろしくね」と軽やかに笑って去っていきました。最後の最後まで、、、。とても「姉らしい」と思われてなりません。 生前の姉へ、あたたかな眼差しと、愛情をかけてくださり、心から感謝しております。重ねて御礼申し上げます。皆さま、本当にありがとうございました。感謝の気持ちを込めて》 生前、長男との対面を望んでいたという中山さん。これからは天国から彼をずっと見守っていくはずだ。
水没した車から窓を蹴破り脱出 親友助けるため再び川の中へ…男性の行動に称賛【スーパーJチャンネル】(2024年12月13日)
水没した車から脱出した後、再び潜って友人を助け出しました。 事故直後に警察が撮影した写真です。川に転落した軽乗用車の上で男性が1人立ち尽くしています。 宮本裕貴さん(27) 「友達の車の納車日で、車のおはらいに神社に行こうとしてたら事故に遭った」 先月2日、香川県観音寺市の交差点で軽自動車同士が衝突。1台はそのまま逃走、もう1台は川に転落し、ひっくり返って水没しました。 車に乗っていた会社員の宮本裕貴さんは、助手席の窓を蹴破って脱出。しかし。 宮本裕貴さん(27) 「友達が息をしてなくて…」 その時、宮本さんが取った勇気ある行動が称賛されています。 宮本裕貴さん(27) 「この道を行こうとしたらこの交差点でぶつかって川に落ちました」 先月2日、香川県観音寺市で車2台が衝突。1台が川に転落した事故。 宮本裕貴さん(27) 「すぐ水が腰の高さまで入ってきました」 会社員の宮本裕貴さんは、水没した車の窓から逃げだすと、すぐに車内に残されていた友人を助けるため、再び川に潜りました。 宮本裕貴さん(27) 「窓から友達を引っ張り出したんですが友達が息をしていなくて、まず水をはかせてなんとかして助けたいなという思いで…」 宮本さんは意識を失っていた友人に、心臓マッサージなどの救命措置を行ったということです。 宮本さんの勇気ある行動に12日、観音寺警察署などが感謝状を贈りました。