中山美穂さん死去に「突然のことで」とマスク外しお辞儀…妹・中山忍の気丈な“心遣い”に寄せられるエール

《俳優の中山美穂さん死去 54歳 都内の自宅で 警視庁》 12月6日午後3時過ぎ、突然、テレビ画面に訃報の字幕が映し出された。   歌手で女優の中山美穂さんが同日、東京都渋谷区の自宅マンションの浴室内で死亡しているのが見つかった。   社会部記者はこう話す。 「その日、大阪でのコンサートのため、午前9時に事務所関係者とJR品川駅で待ち合わせしていたのですが、現われずに連絡も取れなかったとのことです。そこで、関係者が自宅を訪れたところ、お湯が張られた浴槽内で、前かがみの状態で動かなくなっている中山さんを発見し、その後、死亡が確認されました。警視庁は入浴中の事故や病死の可能性があるとみて、死因を調べています」   中山さん死去の一報が流れると、現場となった自宅マンションには多くの報道陣が駆けつけていた。そして夜8時過ぎ、自宅を訪れた中山さんの実の妹で、女優の中山忍が、報道陣の取材に応じた。 忍は話し始める前にマスクを外し、涙ながらに「遅くまで、みなさん申し訳ございません」と話しだした。   やはり、突然の訃報に動揺しているようで、「突然のことで、私もいま、お話しできることが何もありませんので、あらためましてお話しさせていただくことができたらと思います。遅くまで申し訳ありません。今日はこれで失礼させていただきます」と、報道陣に頭を下げた。   芸能担当記者はこう話す。   「忍さんは、車に乗り込んだ後も『すみません』とカメラに向かって、お辞儀をしてから自宅を後にしていました。忍さんは、美穂さんの後を追うようにアイドル歌手としてデビューしましたが、つねに『中山美穂の妹』として取り上げられることに対して葛藤があったといいます。結局、歌手はあきらめ、女優業に専念しましたが、美穂さんとは大の仲よし姉妹でした。 自身のInstagramには、たびたび美穂さんとのツーショット写真をアップし、《お姉ちゃんがステージ上で楽しいねって笑ってる ただそれだけで嬉しいものですね》などと投稿するなど、姉である美穂さんの大ファンでもありました。そんな忍さんが、お姉さんの突然の死に涙するのをこらえながら、気丈に報道陣へ対応していたのが印象的でした」   この様子は、6日夜のニュース番組などで、映像とともに報じられた。Xでは《突然の訃報でお辛いのに…取材受けてくれてアリガトウ》《辛いだろうに毅然とした対応》と、忍が見せた律儀な姿に“エール”を送る声が多くあがっていた。   また、取材に答えた際の《マスクまで外して お顔出して、よく答えてくれた》《わざわざマスク外して対応する忍さん》と、忍の報道陣に対する“心遣い”を称賛する声も多く聞かれている。   大好きだった姉に、ゆっくりと別れを告げてほしい。

中山美穂さん 死の5日前…ファンに伝えていた「夢」

歌手で女優の中山美穂さんが6日、東京・渋谷区の自宅浴槽内で亡くなっていたことが分かった。54歳だった。1985年にデビューし、歌手や女優として活躍。「ミポリン」の愛称で親しまれた。特に歌手としてのこだわりは強く、直近のコンサートでは「生涯歌っていきたい」とファンに伝えていたという――。 中山さんはこの日、大阪で開催予定だった「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」に出演するため、午前9時ごろに仕事関係者と品川駅で待ち合わせていたという。 しかし、約束の時間になっても現れず、不審に思った関係者が自宅のカギを持っている知人に連絡して合流。中山さんが住む渋谷区の自宅を訪れたところ、浴槽内で座った状態で倒れているのを発見。浴槽はお湯がはられたままだった。 直後の午後0時8分ごろ、関係者が119番通報と110番通報。その後、駆けつけた医師によりその場で死亡が確認された。「病死」の可能性が高いという。一部報道では急激な温度変化によって血圧が大きく変動し、体に悪影響をもたらす「ヒートショック」を指摘する声も上がっている。 中山さんは1985年にテレビドラマ「毎度おさわがせします」に出演し、デビュー。同年「『C』」で歌手デビューすると、「ツイてるねノッてるね」「WAKUWAKUさせて」などの曲で人気となり、「ミポリン」の愛称で親しまれた。 92年にはロックバンドWANDSと共演したシングル「世界中の誰よりきっと」が180万枚を超える大ヒットを記録し、94年のバラード「ただ泣きたくなるの」もミリオンセラー。映画「Love Letter」「ビー・バップ・ハイスクール」「サヨナライツカ」やドラマ「ママはアイドル!」など女優としても活躍した。レコード会社関係者がこう振り返る。 「15歳で歌手・女優としてデビューしてから、仕事には一切手を抜かず最前線で頑張ってきました。特に歌には前向きだった。今年は久しぶりの全国ツアーもやっていましたね。とにかく納得するまで歌と向き合う。楽曲『あなたになら…』『Dear My Friends』の作詞にも取り組んでいました」 直近ではクリスマスコンサートを1日に横浜で開催。6日に大阪、10日に再び横浜、15日に東京でそれぞれ開催予定だった。図らずも1日の公演が最後のステージになった。生前親交のあった音楽関係者の話。 「中山さんは1日の公演でキレイな衣装を着ていました。会場はダイニングテーブルを並べたディナーショー形式。『世界中――』などヒット曲を熱唱しました。ステージ上では『生涯歌っていきたい』といった趣旨のことも語っていた。歌手としてステージ上で魅せることにこだわり、ウオーキングのトレーニングに励んでいました」 ファンサービスにも熱心だった。自身のグッズ購入者に対して特典として来年1月、テレビ電話でトークする企画も控えていた。 特に来年はデビュー40周年のアニバーサリーイヤーを迎えるだけに、本人は意気込んでいたという。 「40周年のために全国で30か所くらいのコンサートツアーの予定も計画していたようですし、アルバムを制作する計画もあったそうです。春にはドラマ出演の話もあった。仕事に前向きでした」(別の音楽関係者) デビュー直後から、アイドルとして第一線で活躍していた中山さん。当時を知る芸能関係者は「80年代のころのアイドルは、今では考えられないような殺人的なスケジュールでした。寝るのは移動しているときだけのような感じでしたが、それでも美穂さんは、1回ダウンしたことがあるかどうかというくらい、体が丈夫なイメージでした。年齢を重ねたとはいえ、それほど弱くなったという印象もないし、持病があるとも聞いていなかったのですが…」と、その早すぎる死を悼んだ。

中山美穂さん(54)死亡 本日大阪で公演予定…会場前で知るファンも「この後仕事できるかどうか分からない」

俳優の中山美穂さんが、自宅で亡くなっていたことがわかりました。54歳でした。 捜査関係者によりますと、6日正午すぎ、東京都渋谷区の自宅で、俳優の中山美穂さんが死亡しているのが見つかりました。 (記者:中山美穂さんが亡くなられました) 「え?きょう?」 「すごいショックっていうか」 「ど真ん中のアイドル世代だったんで、この後仕事できるかどうか分からないぐらいショックですね」 中山美穂さんは体調を崩していて、6日大阪で予定されていたコンサートの中止が発表されていました。警視庁は中山さんが亡くなった詳しい経緯を調べています。 中谷しのぶキャスター 「そのコンサートの中止が発表されたコンサート会場を前から中継でお伝えします」 柏﨑蒼馬 記者 「大阪・梅田からお伝えします。私が今立っている後ろにあるビルの地下に、きょう中山美穂さんのコンサートが行われる予定だった会場があります。 私も先ほど、ライブ会場の前に行って様子を伺ってきました。ファンのうちの1人は、きょうは仕事を有休休暇を取って、山口県からライブ会場に来て、会場の前に着いてから、きょうの公演が中止になったことを知ったということです。その後に ニュースを見て、亡くなっていたことを知ったということで、非常にショックを受けていました。そのファンの方は、去年も9か所ライブに行ったほどのファンだということで、非常にショックを受けていました。 きょうのライブは、本来であれば、午後4時半に開場し、午後5時半から最初の公演が行われる予定でしたが、午後2時過ぎにホームページで、本人の体調不良により公演が中止になったと(発表があった)ということです。遠方からいらっしゃったファンは、こちらの会場の前に着いてから知るという方もいらっしゃったのではないでしょうか」