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「パリのホームパーティーで息子さんと」中山美穂さん、岩井俊二監督らが語る“女優魂とすっぴん顔”

中山美穂さんの悲報がもたらした衝撃と悲しみの波紋は今も消えていない。

「改めて中山さんの残した作品の素晴らしさを実感している人も多いでしょう。日本レコード大賞は『特別功労賞』を贈ることを発表しました。レコ大では、1985年の第27回で最優秀新人賞を受賞。1986年の第28回『ツイてるねノッてるね』、1988年の第30回『You’re My Only Shinin’ Star』でレコード大賞金賞を受賞していますからね」(レコード会社関係者)

中山美穂さんに「レコード大賞」特別功労賞 85年に最優秀新人賞、86、88年にレコ大金賞を受賞(中日スポーツ)|dメニューニュース(NTTドコモ)

2025年1月に始まるドラマで、すでに撮影を終えていたシーンが放送されることも決まった。

「フジテレビ系で放送される、香取慎吾さん主演の『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』の初回と第3回で、保育園の園長役を演じています。さらに、テレビ朝日系で放送される『家政夫のミタゾノ』では第1話のメインゲストで登場するそうです」(テレビ誌ライター)

岩井俊二監督が語る「素顔」
中山さんが女優として大きな飛躍を遂げた、1995年公開の映画『Love Letter』で監督を務めた岩井俊二氏が当時を振り返る。

「お願いしようとしていたのが一人二役で、1人は明るい役なんですけど、もう1人は悲しみに暮れている役。暗めのほうの役ができるんだろうかと、心配していたんです。というのも、当時の彼女は活発な役をよく演じており、暗めの役の印象がなくて。実際にお会いしてみると、清楚で物静かで、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐタイプ。暗い役のイメージにぴったりだったので意外でしたね」

恋人に先立たれた“渡辺博子”が天国に手紙を出すと、恋人と同姓同名の女性“藤井樹”から返事が届く。中山さんは2人の女性を演じ分ける難しさを感じていた。

「“博子って、ここ、どう演じていいか、ちょっとわからなくて”って言うんです。“明るい樹は、すごく自分と近いのでわかるけど、博子は自分とは遠い感じがしてわかりにくい”って。僕からすると“いや、素は樹じゃなくて、博子だよね”と思っていたから噛み合わないんです、話が(笑)」(岩井氏、以下同)

演じていくうちに、中山さんは役をつかんでいった。

「最初は“映画はちょっと苦手で”と言っていたんです。でも、撮り終わった後にはうまくやれた実感があったんでしょうね。今度は逆に“映画しかやりたくない”と言い出して(笑)、事務所を困らせてしまったみたいなんですよ。彼女はいい意味でゴーイングマイウェイなんです」

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「問題なしね」誤進入に気づかないまま…海保機滑走路進入直前のやりとり判明 管制官と“進入許可”交信無なく指示内容誤認か 日航機・海保機衝突事故の経過報告書公表

2024年1月に羽田空港で起きた日本航空と海上保安庁の航空機事故で、海保機の機長らが「問題なし」というやりとりがレコーダーに記録されていて、誤進入に気づかないまま滑走路に進んでいたとみられることが新たに分かった。 羽田空港では、2024年1月2日、日本航空と海上保安庁の航空機が滑走路上で衝突し、海保機の乗員5人が死亡し、機長が重傷を負った。 25日公表された経過報告書によると「ナンバーワン。滑走路停止位置まで走行してください」という英語の指示について、機長は「滑走路に入って待機してください。離陸順位は1番と言われた」と話していて進入許可が出たと認識していたことが分かった。 また、海保機内のボイスレコーダーの記録が今回初めて明らかになった。滑走路へ入る直前に、機長と副操縦士との間で「問題なしね」「はい、問題なしです」というやりとりや、機長による離陸前の点検指示などが記録されていましたが、管制官との間に滑走路への進入を許可する交信はなく、指示内容を誤認していた可能性がある。 一方、滑走路に誤進入があった際に、管制官に注意喚起するシステムが、海保機が滑走路に進入した7秒後から事故が起きた1秒後までの1分8秒間で作動していましたが、管制官は気づかず、滑走路上の海保機を見逃していた。 このほか、日航機側も衝突直前まで海保機を認識していなかったということだ。 運輸安全委員会は、こうした複合的な要因が重なり事故が起きたとみて今後、最終報告書をまとめる方針だ。 (「Live News days」12月25日放送より)  

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