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中山美穂さん、病死か事故死の可能性…あす「調査法解剖」へ

東京都渋谷区の自宅で6日に亡くなっているのが見つかった歌手で俳優の中山美穂さん(54)について、現場の状況などから病死か事故死の可能性が高いことが警視庁幹部への取材でわかった。同庁は8日に遺体を解剖し、詳しい死因を調べる。

中山美穂さん「目立った外傷なし」病死か 意味深インスタであらぬ臆測も(東スポWEB)|dメニューニュース(NTTドコモ)

中山美穂さん「2、3日心がえぐられ」と記した5日の最後の投稿、添えたパリ生まれ作家の作品のメッセージ/芸能/デイリースポーツ online

急死中山美穂さん自宅周辺は交通規制かけられ物々しい空気、関係者とみられる人の出入りも - おくやみ写真ニュース : 日刊スポーツ

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斉藤由貴離婚していた 所属事務所「事実」と認める、今年春ごろ、30年の結婚生活にピリオド

女優の斉藤由貴(58)が今年春ごろに離婚していたことが21日、スポーツ報知の取材で分かった。複数の関係者によると、互いが納得した上で別々の道を歩んでいくことを決断したという。 所属事務所は本紙に「離婚は事実です」と認めた。「プライベートは本人に任せています」とし、慰謝料の有無、財産分与などに関しては明らかにしない。 斉藤は1993年に友人の紹介で夫と知り合い、翌94年に都内の教会で電撃結婚し、話題を呼んだ。99年に長女で女優の水嶋凜(25)が誕生。2003年に長男(21)、04年に次女(20)が生まれた。30年近い結婚生活にピリオドを打ったが、斉藤の知人は「3人の子どもたちが成人したことも、大きかったのではないか」と心情を代弁した。 近年は、17年に横浜市在住の50代(当時)の医師とのダブル不倫が報じられた(その後、医師は離婚)。今年9月に、女性週刊誌にこの医師との関係が続いていたと報じられていた。  斉藤は今年デビュー40周年。「マッチング」「変な家」など複数の映画に出演し、10日に最終回を迎えたTBS系「あのクズを殴ってやりたいんだ」で主人公の母親役を好演。女優として出演オファーが絶えない状況が続く。  加えて、来年は歌手デビュー40周年。デビュー記念日の2月21日から40周年記念の全国ツアーが控えている。「YUKI’S TOUR ONE・TWO」以来36年ぶりのホールツアーになるが、心機一転、吹っ切れた姿が見られそうだ。 ◆斉藤 由貴(さいとう・ゆき)1966年9月10日、神奈川県出身。58歳。84年「ミスマガジン」グランプリ。85年「卒業」で歌手デビュー、フジ系「スケバン刑事」で連ドラ初主演、「雪の断章―情熱―」で映画初主演。86年NHK連続テレビ小説「はね駒」のヒロインを務め、その年の紅白歌合戦初出場(紅組司会も担当)。2006年にTBS系「吾輩は主婦である」主演。17年映画「三度目の殺人」でブルーリボン賞助演女優賞。161センチ。

「中山美穂」初代マネージャーが語る “胸にバスタオル撮影”で泣きじゃくった「根暗で無口」な少女が、スターになった日

中山美穂が亡くなって10日余りが過ぎた。12日には葬儀が終わったが、故人を悼む声は未だに止まない。俳優、歌手として頂点を極めた中山。そのキャリアの原点となったのは、1985年のドラマ「毎度おさわがせします」(TBS系列)だった。ドラマデビューとなったこの作品でツッパリ少女・のどかを演じた彼女は、そのルックスと演技に注目が集まり、以後、一気にスターダムへと駆け上がることになったのである。当時、所属事務所でマネージャーを務めていた岡嶋康博氏が、中山との思い出を語った。 【写真を見る】「吸いこまれそうな目力!」 セーラー服を着た15歳の中山美穂さん  中山が芸能界入りしたのは1982年。当初はモデル活動などをしていたが、ドラマデビューとなったのが14歳、中学3年生の時に出演した「毎度おさわがせします」である。中山の所属事務所は「ビッグアップル」。彼女のために山中則男氏が設立。岡嶋氏はその創業メンバーの1人でもあった。岡嶋氏が回想する。 「美穂と初めて会ったのは喫茶店でした。私と社長の山中さん、そして美穂の3人です。美穂はどちらかと言えば無口で、その時も多くは語りませんでしたが、他の子とは明らかに違うところがありました」  それは、 「彼女の“目”です。野性的で切れ長。今までのアイドルは“可愛い”ルックスでしたが、美穂は、猫目でシャープな、野性味あふれる印象でした。新しい次元の“可愛さ”だったと思います。これが彼女の人気が出た理由でしょう」  こうしてわずか3人で事務所がスタートした。その最初の大仕事が「毎度おさわがせします」だったわけだ。 「なるほど! ザ ワールド」を逆転 「このドラマ出演は、山中さんがオーディションに連れて行き、勝ち取ったものです。実は美穂が演じた『のどか』という役は、内々に別の女の子に決まっていました。しかし、プロデューサーや脚本家はどうも納得していなかったようです。そんな時に美穂が来た。見た途端に“この子だ”とすぐに決めてくれました。ドラマに出ること自体すごいことですし、まして新人ですから、普通はエキストラに毛が生えた程度の役しか回ってこない。しかし、美穂は最初から主役級の大役を任されたわけです」  ドラマは、不良少年、少女を抱える3つの家族の物語だった。中山の父役は板東英二、母役は夏木マリが務めた。 「当時、反抗する子どもが社会問題化しており、ドラマのような現実がたくさんありました。だから若い世代には受け入れられやすかったのかもしれません。しかも、美穂の目、ツッパリ風のルックスが、役によく合っていました」 「毎度おさわがせします」の放送は火曜日の21時から。その前の20時台はドラマ「少女に何が起こったか」が放映されていた。 「当時、既にスーパースターになっていたキョンキョンが主役です。視聴率も良く、その影響からか、続けて見てくれる人が多かった。ただ、同じ時間帯にフジで『なるほど! ザ ワールド』が放送されていました。各局、どんな番組をぶつけても勝てなかった化け物番組です。しかし、最初は当然、フジが勝っていたんですが、2回、3回と続くに連れ、どんどん視聴率が迫っていき、ついに最後には逆転してしまったんですよ」 「絶対にスターにするから」  怪物番組に視聴率で迫り、街には主題歌のC-C-B「Romanticが止まらない」が流れる。驚きの快進撃であるが、このドラマのテーマは「思春期の性」。刺激的なセリフやシャワーシーン、下着のシーンも多く、大人たちは眉を顰めた。 「どんどん注目が集まるに連れ、全国のPTAからTBSに苦情が行くようになり、局は抗議の電話でパンクしてしまったそうです。裏返せば、今までにないドラマだということで、中高生から圧倒的な人気を誇っていたということですが」  際どいシーンが多いだけに、こんなトラブルもあった。 「ドラマの宣伝のための、電車の中吊り広告の撮影がありました。その撮影で、美穂が胸にバスタオルを巻くショットがあった。しかし、まだ14、15歳の女の子。大勢の大人に囲まれて脱ぎ、際どい写真を撮るというのは緊張を強いられることで、彼女は泣きじゃくってしまったんです。共演していた篠ひろ子さんが“大丈夫よ、しっかりして。これがあなたのスタートだから頑張ってね”と温かい言葉をかけてくれ、それで美穂も頑張れて、何とか撮影を終えることが出来ました」  ドラマでは、親に喧嘩をふっかけるシーンが多々あった。 「荒くれ者の暴力沙汰みたいなことをやるわけです。美穂はそういったことをした経験がないので、当時、大人気だった全日本女子プロレスのクラッシュギャルズに教えてもらうことになりました。ドロップキックなどのプロレス技を、目黒にある全女の本社まで習いに行ったんです。すると、すごい数のクラッシュギャルズのファンがいた。1000人くらいはいたんじゃないでしょうか。練習を終えて帰るとき、“今は美穂のことを誰も知らないけど、絶対に有名なスーパースターにするから、頑張っていこう”と言いました。本人も“頑張ります”と言っていましたね」 ジャニーズタレントと長電話  ドラマには同世代の役者がたくさん出演していた。横山やすしの息子・木村一八、ジャニーズ事務所の江端郁世。中でも、 「共演したあるジャニーズ事務所のタレントとは仲良く、毎晩のように電話をしていました。ずっと話し続けるものだから、電話料金がかさんでしまって……。14、15歳の頃ですから、そういうことで疲れを癒やしていたのかもしれません。撮影は朝早くから夜遅くまである。撮影場所の緑山スタジオ(横浜市)から家まで車で送り届ける時は、彼女も疲れ切ってしまって、ずっと眠っていました」

鈴木蘭々、中山美穂さんの思い出を回顧 オーディションで「ミポリンのRosaを歌ったり」

タレント鈴木蘭々(49)が18日、アメーバブログを更新。6日に都内の自宅で亡くなった、女優中山美穂さんへの思いをつづった。 鈴木は「いなくなってしまってから後少しで2週間です…。最初にニュースを見た時は本当にショックでした だけど不思議なものでスマホの画面上に懐かしいミポリンの姿を沢山見るたびに段々と亡くなった寂しさが薄れたりして錯覚してくるんですよね 亡くなったなんてのはフェイクニュース? だった? って 元々画面の中でしか見られない人だったからそうなっちゃうのかな… 日ゆっくりとニュースを見て改めて もういないのか…悲しいと自覚するのでした」と中山さんが亡くなってからの心境を吐露した。 続けて「もはや忘れかけていた記憶で最近思い出したんですけど、高校生の時にファンハウスレコードだったかフォーライフだったか、うろ覚えなんですけど頭にFがつくレコード会社の オーディション的なレコーディングで ミポリンのRosaを歌ったりした事もあります(落ちました)」と「歌手のライブに初めて行ったのは12歳の時でミポリンなんです 神奈川県民ホールでした」とレコーディングで中山さんの曲を歌ったことや初のコンサートが中山さんだったことを明かした。 思い出を振り返り「私だけじゃなく本当に多くの人の人生に影響を与えたミポリン 凄い人生だね」と改めて、中山さんへ敬意を表した。

期待のガールズグループ・2FACE、初お披露目ライブ開催 「夢に向かって全力で駆け抜けていきます」

7人組ガールズグループ・2FACE(トゥーフェイス)が21日、都内でグループ初のお披露目ライブを開催した。 2FACEは、BE:FIRSTや NiziUといったトップアーティストへの楽曲やダンスを提供してきたクリエイター集団「PROJECT K」が主催した新世代ガールズオーディション『ガルズナビ』で、世界各国から集まった1500人超の応募者の中からメンバーが選抜された。オーディションの模様は、TOKYOMXなどで放送された音楽番組『うたなび!』で約6ヶ月間密着取材され、話題を呼んだ。 メンバーは、リーダーの HINATA(ヒナタ)をはじめ、MARIA(マリア)、NIKO(ニコ)、NIINA(ニイナ)、RINA(リナ)、KUREA(クレア)、NIRAI(ニライ)の7人で、KUREA(姉)と NIRAI(妹)は姉妹。グループ名の「2FACE」は、“K-POPの力強いパワフルさ”と“J-POPの可愛いらしい清廉さ”という2つの顔を兼ね備えたグループという意味が込められている。  イベントでは、1stデジタルシングル「PEEP PEEP」や来月発売する新曲「Girls Night Out」など3曲を披露。ファンに初お披露目し、会場を沸かせた。 トークコーナーでは、オーディション時を振り返り。デビューが決まった時の周りの反応を聞かれると、RINAは「オーディションを受けることを公表していなかったので、周りに初めて発表したときは、本当にびっくりされました。両親にもびっくりされましたが、一度きりの人生だから後悔ないように頑張ってきなと言ってくれました」と答えた。 KUREA(姉)と NIRAI(妹)は年子の姉妹。KUREAは「まさか姉妹で受かると思っていなかったのでびっくりしました。ひとりで上京してたら寂しかったと思うので、嬉しいです」とコメント。NIRAIは「けんかはするけど、それくらい仲が良いのかな」と姉妹仲を明かした。 NIINAは元国家公務員。オーディションに参加した理由を「高校生の頃からK-popが好きで。ただ、その頃には公務員になる進路を決めていましたが、大好きなIVEさんのライブに行ったときに、やっぱり同じステージに立ちたいなと思って。夢を諦めたくないと思って、挑戦しました」と明かした。 イベント終盤では、メンバーの家族からサプライズのメッセージが。メッセージと共に、メンバーの幼少期の写真が映し出された。メンバーは感極まり、涙を浮かべていた。リーダーのHINATAは、「もっと多くのステージに立って、もっともっと大きくなって、この恩を返せるよう頑張りますので、そのときまで待っていてください!」と力強く決意を述べた。 この日、HINATAはこれまでのハイトーンのロングヘアから、黒髪のショートヘアでイメージチェンジをして登場。「PEEP PEEP」のMVで髪を切るシーンがあるが、これはデビューにあたってのみんなの決意を表したシーンであるとのこと。HINATAは「それくらい固い決意を持って、『これから大きくなっていこう』という意味を込めてのイメチェンですかね」と説明した。 最後にNIINAは「この景色が本当に幸せです。ありがとうございます。これから大きくなっていくので、たくさんの応援よろしくお願いします」と思いを込め、感謝を伝えた。HINATAが「eyes(アイズ)(ファンの通称)のみんながこの瞬間を共にしてくれたことをめちゃくちゃうれしく思うし、すごく幸せに感じています。これから2FACEの夢に向かって全力で駆け抜けていくので、みなさんついてきてください!」と気合い十分に語った。 同グループは、今年9月24日に1stデジタルシングル「PEEP PEEP」を発売。25年1月28日には初のミニアルバム『My Boo』でCDデビュー。2月1日に都内でデビューショーケースを開催する。

楢崎正剛、秋田豊、藤田俊哉…吉田麻也に大きな影響を与えた先輩選手に感謝「目をかけていただいていたのは間違いない」

吉田麻也がパーソナリティを務めるTOKYO FMのラジオ番組「吉田麻也の切り替えて行こう!」(毎週土曜9:30〜9:55)。吉田麻也が“何があっても切り替えて行こう!”というDFならではのスローガンを掲げ、最新のニュースやリスナーからのメールに鋭く反応していく番組です! 12月14日(土)の放送では、プロになる前の貴重な経験について語りました。 「先日、あるテレビ番組で、麻也さんを18歳から取材されているというライターさんが『当時、楢崎正剛さんが「プレーは成長しないといけないけど、麻也の素質は日本代表のキャプテンをやれるだけのポテンシャルがある」とおっしゃっていた』というエピソードを紹介されていました。若手の頃から期待をかけられていたことを麻也さんは知っていましたか?」 吉田:(アカデミー時代から)先輩方に目をかけていただいていたのは間違いないと思います。僕がプロに昇格するかどうかぐらいの17〜18歳のときに、楢崎さんもそうですし、秋田豊さん、藤田俊哉さんなど、当時のJリーグを代表するベテラン選手たちが、自分のチーム(当時:名古屋グランパスエイト)に所属されていて、Jリーグのなかでも本当のプロフェッショナル(な姿)を目にすることができたのは、自分にとって大きな財産でしたし、やっぱり、Jリーグ・アカデミーの良い点ってそういうところじゃないかなと思います。 また、当時の僕は、チーム寮で若手選手たちと同じ屋根の下で生活をしていましたが、そこで、どういう選手が1軍で試合に絡んでいくのか、逆にどういう選手がダメになっていくのかをまじまじと見てきた経験があって、そのなかで、高校生ながら“自分が(プロで)生き残るにはどうしたらいいだろう?”と考えていたのもあるかなと思います。 特に、現ジュビロ磐田の強化部長の藤田さんなんかは、露骨にプレッシャーをかけられたというか……(苦笑)。僕がまだ20代になるかならないかぐらいのときに、地元企業の方とのご飯に誘っていただいて、礼儀作法も全然わからないまま連れて行かれたんですけど、そこで(藤田さんが)企業の方々に「こいつは、すぐ代表入りしますんで!」みたいなことを言って“え〜!? 急になんてことを言い出すんだ!!”って思うくらいプレッシャーをかけられました(笑)。 でも藤田さんは、長年Jリーグを見てきた肌感で“どんな若手が伸びるのか”がなんとなくわかっていたんだろうな、という気がします。そして、自分もそういう歳になってきて、なんとなくですけど“こういう選手は伸びるだろう”“(プロとして)生き残るだろう”っていうのは肌感で分かってきました。 どんな職種でもおそらくそうだと思うんですけど、そういう若いときの経験が今すごく活きているなと感じます。

吉田麻也「携帯が鳴り止まないというか…」“所属チームの優勝”に感無量「僕にとってはプロ18年目で初めての優勝」

吉田麻也がパーソナリティを務めるTOKYO FMのラジオ番組「吉田麻也の切り替えて行こう!」(毎週土曜9:30〜9:55)。吉田麻也が“何があっても切り替えて行こう!”というDFならではのスローガンを掲げ、最新のニュースやリスナーからのメールに鋭く反応していく番組です! 12月14日(土)の放送では、自身が所属するロサンゼルス・ギャラクシー(以下:LAギャラクシー)のMLS(アメリカメジャーリーグサッカー)優勝の喜びを語りました。 パーソナリティの吉田麻也「MLSの年間王者を決めるMLSカップの決勝がおこなわれ、LAギャラクシーがニューヨーク・レッドブルズを2-1で破り、リーグ最多6度目の優勝を果たしました。LAギャラクシーは2014年以来、10年ぶりの全米制覇。また、キャプテンの吉田麻也選手にとっては、所属するクラブチームでの初タイトルとなりました」 吉田:(MLSカップ決勝は)前半早々に2点をリードすることができて、セットプレーから1点は返されましたが、その後はなんとか逃げ切りました。僕にとってはプロ18年目で初めての優勝! そして、LAギャラクシーにとっても2014年以来10年ぶりの優勝となりました。 僕たち(LAギャラクシー)は、MLSのなかでもポゼッションのチームで、10番のリキ・プッチ(以下:リッキー)を中心にボールを大事に保持しながらプレーするプレースタイルだったんですが、西地区決勝の試合でリッキーがケガをしてしまったんですね。 なので、決勝ではチームの中心がいないなかで“現実的に戦う”ということを徹底しまして、僕もいつもだったら絶対につなぐようなところもあえてロングボールを多用し、ミスを犯さないようにプレーしました。 正直、決勝戦はそんなにいいパフォーマンスではなかったですが、こういう一戦は、やっぱり“どうサッカーをするか”よりも“勝ち負け”が一番大事だと思っているので、チーム内でも試合前から何度もそのことを話すくらい、とにかく“勝った者がすべて”。それもまたサッカーの一部です。 昨日(決勝当日)は現地時間の午後1時キックオフだったんですけど、(優勝が決まった後)1回スタジアムでお祝いして、その後、LAギャラクシーの親会社はものすごく不動産を持っていて、ホテルやスタジアム、シアターも持っているので、そこを貸し切って、スタッフもみんな集めて夜中12時過ぎまでパーティーをしていました。さらに選手は、そこからナイトクラブに繰り出すというね。僕は年齢的な問題もあって12時過ぎでノックアウトしてしまったんですけど(苦笑)。 やっぱり、優勝するのはいいですね! 素晴らしいと思います。昨日から携帯が鳴り止まないというか、ずっと(いろいろな人から)連絡が来るので、今は返信にすごく時間を割かれていますが、とにもかくにもやっと優勝できて良かった! あと、ヨーロッパからアメリカに行ったときに、年齢的にどうしても“キャリアの終盤だから、アメリカの生活を楽しみに行ったのではないか?”と思われることが多かったのですが……実際、楽しんでいるんですけど(笑)。そのなかで、(プロとして)日々自分の目標を立ててやってきて、それが報われたというのは非常にうれしい瞬間だったなと思います。 —————————————————- 12月14日(土)放送分より(radiko.jpのタイムフリー) 聴取期限 2024年12月22日(日) AM 4:59 まで ※放送エリア外の方は、プレミアム会員の登録でご利用いただけます。

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