38歳人気芸人 内村光良、千鳥らに結婚報告 「10月9日に籍を入れまして」もイブに発表の理由は…
お笑いコンビ「インポッシブル」ひるちゃん(38)が4日深夜に放送されたテレビ東京「ぴったり にちようチャップリン」(深夜0・00)に出演。MCの内村光良(60)らに結婚報告する場面があった。 ネタ後、ひるちゃんは「この場を借りて、皆様にご報告したいんですけど」と切り出して「私ごとなんですが、結婚しました」と報告した。まさかの報告にMC陣からは「え!?」「本当に!?」と驚きの声があがるとともに、スタジオは祝福の拍手に包まれた。 詳細については「10月9日に籍を入れまして。発表が12月24日なんですけど」と明かしており、クリスマスイブの日に自身のSNSで結婚を発表している。この発表日のついて「遅くない?」と指摘されると「やっぱり特別な日なので」と照れ笑い。意外な一面に笑いが起こりつつ、内村は「おめでとう!おめでとう!」と拍手で祝福した。 ひるちゃんは昨年12月24日に自身のSNSで「この度インポッシブルひるちゃんは結婚しました!!来年、パパにもなる予定です!!」と報告している。
日本で逮捕状の男フィリピンで拘束 介護施設入居権めぐり“うそ電話”【スーパーJチャンネル】(2025年1月5日)
特殊詐欺グループのメンバーとみられる日本人の男がフィリピンで現地当局に身柄を拘束されました。 2日、マニラの商業施設で取り押さえられたのは39歳の日本人の男です。 男はこの時、フィリピン人を装った偽の身分証明書を持っていました。 現地当局によりますと、男は仲間と共に介護施設の入居権を巡る架空の話で日本人に電話を掛けるなどし、およそ300万円をだまし取った疑いが持たれていて、日本の警察から逮捕状が出ているということです。 男は今後、日本へ強制送還される見通しです。
故・有賀さつきさん、一周忌で父がはじめて明かした本当の「病因」
「実は、納骨をすませていないんです。今でもフラリと戻ってくるような気がして……。でも、いつまでもこのままというわけにはいきませんので、一周忌が終わったら、お墓に入れようと思っています」 1月下旬、寒空の下。自宅前で『週刊女性』にそう声を振り絞って語ったのは、有賀洋さん。1年前の1月30日、52歳という若さで急逝した有賀さつきさんの実父だ。 同期の八木亜希子にも伏せていた 生前の有賀さんは、自らの病状を周りに知らせず、闘病生活を隠していた。 「激やせしていたんですが、“ダイエット中”だと言い張りました。抗がん剤の影響で毛髪が抜けてウイッグを着用していたときも、“このカツラ、便利なんですよ!”と明るく話していたそうです」(スポーツ紙記者) ’18年1月中旬に体調が悪化して入院。食欲がなくて点滴を受けていたが、それでも元気な様子だったという。 「フジテレビの同期だった八木亜希子さんとは、LINEでやりとりしながらも、病気のことは伝えなかったそうです。突然のことで、お父さんも娘さんも死を看取ることはできませんでした。亡くなったことが報じられたのは6日後の2月5日。病名も明らかにされなかったので、いろいろな憶測を呼びましたね」(同・スポーツ紙記者) 有賀さんが病名を伏せたのは、本人の強い意思だった。乳がんだったという報道もされたが、それは事実ではないと、洋さんが初めて明かす。 「実は、卵巣がんだったんです。さつき本人が知られたくないということで、私も隠していました。大阪に卵巣がん治療の名医がいるということで、亡くなる3年前に手術を受けました。私も立ち会ったんです。 それで治ったと思っていたんですが、急に体調が悪くなって入院したんです。2週間たって、もう少しで退院と思っていたら、朝7時ごろに病院から連絡がきて、たった今、亡くなったと……。本当に急でした。 退院したら、この家で一緒に住む予定だったんです……」 3年前に妻に先立たれた洋さんは、一軒家でひとり暮らし。時折、涙を流しながら、有賀さんのことを振り返る。 「結果的に、私がさつきを殺したんです……」 今でも後悔の念に苦しむという洋さんは、そう言って肩を落とす。 「私は東大を出て、電電公社(現在のNTT)に入社しました。3年間ニューヨークに赴任して、現地で家族と暮らしました。それで、さつきは“帰国子女”なんてもてはやされたんです」 ’88年に八木亜希子、河野景子とともにフジテレビに入社。 “花の3人娘”と呼ばれ、バラエティー番組に出ずっぱり。いわゆる“女子アナブーム”で人気となったが、有賀さんにとっては大きな負担となっていたと話す。 「アナウンサーという仕事は、本当に過酷です。夜中の11時に番組をやって、それも生中継だから当然、失敗は許されない。ものすごいプレッシャーで、さつきの神経はすり減らされたんです」 アナウンサーという仕事の過酷さ スポーツニュースを担当しながら、『オレたちひょうきん族』や『とんねるずのみなさんのおかげです』といったバラエティー番組でも活躍。後に“元祖・アイドルアナ”とも呼ばれた。’92年にフジテレビを退社して、タレントに転身。華やかな世界で輝いたが、洋さんはそれが命を削ることにつながったと考える。 「私生活でも、電車にすら乗れない。そのへんを歩けば人に騒がれる。さつきが亡くなった後、確定申告を私がやりましたが、領収書はものすごい数でしたよ。でも、さつきは自分の人生を貫き通しました。それはひとりの人間として立派だったなと思います」 有賀さんは、’02年にフジテレビ時代の上司だった13歳上の和田圭氏と結婚。女児を授かったが、’06年に離婚。有賀さんは会見で和田氏との結婚は間違いだったとも語った。 「’15年に、日本テレビ系のバラエティー番組『解決!ナイナイアンサー』に出演した際、“話し合って別れようと決めた2日後に妊娠が判明し、刑務所に入る覚悟で結婚した”と発言。寝室を別にして夫婦生活を拒否していたことも明かしました。あからさまな物言いにはバッシングもありましたね」(芸能レポーター) 有賀さんが和田氏と離婚したとき、娘は3歳。洋さんは、なんとか離婚を思いとどまらせようとした。