「誰もいない担架を救急車に載せていて…」中山美穂さんの急死…居住ビル関係者が明かした「緊迫の光景」

”ミポリン”の愛称で親しまれた、歌手で女優の中山美穂さん(54歳)が6日、東京・渋谷区にある居住ビルの浴室で死亡しているのが見つかった。同日夕方からは自身のコンサートライブ「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」の大阪公演が控えていたが、午後2時ごろに突如として中止が発表。中山さんの訃報が流れたのは、まさにその40分後の出来事だった。警視庁は事件性は低いと見ており、死因を慎重に調べている。 誰も乗っていない担架 「正午すぎくらいに救急車のサイレンが聞こえて、ビル内が騒がしくなったんですよ。その後、外に出たら救急隊員も引き上げる途中で、誰もいない担架を車内に入れようとしてました。だから『何もなく平和に終わったのかな』と思っていたのですが……」 中山美穂さんが亡くなったビルの関係者は、当時の様子を思い出しつつ、そう声を震わせた。 現場となったのは、JR恵比寿駅から徒歩10分ほどの7階建てビルの一室。12月6日に事務所関係者が家を訪ねたところ、中山さんが浴室で倒れているのを発見して119番通報、駆けつけた救急隊員によりその場で死亡が確認された。 中山さんは当日夕方から、自身のコンサート「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」(自身のコンサートライブ)の大阪公演を開催する予定だった。当日の午前7時まで、事務所スタッフと仕事のやり取りをLINEしていたが、予約していた大阪行きの新幹線に午前9時ごろになっても現れなかったため、複数にわたって連絡した後、自宅に向かったという。 「自宅で中山さんは水を張った浴槽に座り、前かがみの状態で亡くなっていました。部屋は施錠されており、発見時も1人だったということで、警視庁も事件性は低いと見ています。現場の状況から、浴室に入ったときに急激な温度変化によって血圧が大きく変動して、体に悪影響を及ぼすヒートショックや、なんらかの理由で浴槽で溺れた可能性もあるとみて死因を調べています」(捜査関係者) 「テレビで見るときのイメージと違った」 この日、午後3時半を回るころには、東京・渋谷区の一等地にある閑静な住宅街には禍々しい雰囲気が漂っていた。マスコミ関係者や近隣住民などを合わせると、のべ30人以上が中山さんの居住ビル前に詰めかけていた。 1階の入り口前には、灰色のハイエースの警察車両が止められていて、後方部もブルーシートで覆われているため中は確認できない。午後4時を過ぎたころには、居住ビル前には規制線が貼られた。その20分後には、警察車両が走り去っていった。その様子を固唾を飲んで見守っていた女性は、「実は以前、一度だけ中山さんを見かけたことがあって……」と話す。 「ちょうど6月くらいだったかな。このビル前の通りですれ違ったんだけど、テレビで見るときのイメージとは違って、無印とかユニクロで売ってそうな、素朴なお洋服を着ていました。それでもやっぱりスタイルが違うし、オーラもあるからかな。『あ、中山美穂さんだ』ってすぐに気づきました。それからは陰ながら応援してたんだけど、まさかこんなことになるとはねえ、やっぱり言葉が出ませんよ」 中山さんが住んでいたビルは、4階までが事務所などが入るオフィスになっており、5階以上が居住スペースになっている。住民自身が住むフロア以外にはエレベータが止まらない構造のため、同居住ビルの関係者からは「一度も見かけたことがない」と言われるほど、中山さんは影の薄い存在だった。 マスコミがビル前に詰めかけて… その中の一人は、冒頭のセリフに続けて、当時をこう振り返る。…

踏切内で“危険運転”遮断機を破壊そのまま走り去る【スーパーJチャンネル】(2024年12月9日)

トラックが遮断機を破壊。踏切での危険な運転が捉えられていました。 先月28日午前7時すぎ、男性が踏切に差し掛かった時のこと。前を走るトラックがスピードを緩めたかと思いきや、そのまま踏切内に前進。 目撃した男性 「踏切が鳴り始めているのに、そのまま線路に入ってしまって」 警報機が鳴り、遮断機は下がり始めていました。遮断機は荷台にぶつかり、ポッキリ折れてしまいました。 目撃した男性 「非常に危険だった。それなりに(電車の)本数もあって車も混みますが、歩いて踏切を渡る人や自転車で渡る人も大勢いる」 よく見ると、折れた遮断機は踏切内に残されて本来、閉じられるはずの場所には隙間が。 トラック何事もなかったかのように走り去って行きました。 その後、男性は…。 目撃した男性 「電車が行った後(遮断機が開いて)すぐに落ちている棒を拾って、邪魔にならないところに移動させた」 しみず法律事務所 清水卓弁護士 「(道路交通法の33条で)踏切の遮断機が閉じようとし、警報機が鳴っている間は踏切に入ってはならないので、3カ月以下の懲役または5万円以下の罰金に処せられる可能性」 JR東日本は被害届を出すことを検討しています。

中山美穂さんと離婚した元夫・辻仁成氏「家庭に女優を持ち込むな」パリ夫婦生活での違和感と、美穂さんが描いた“老後”

《不意の悲しい知らせがあり、昨日は日記をお休みして、一日、祈っていたのである。そして息子のことが心配なので、昨日はずっと息子君に寄り添っていたのだ》 中山美穂さんの急逝が発表された12月6日、自身の公式ブログで心境を綴った作家でミュージシャンの辻仁成氏。 8日にもWebマガジン『DesignStories』を更新し、これまで365日休まなかった日記を書けなかったこと、あらためて元妻に“祈り”を捧げていたこと、そして2025年1月で20歳になる長男の様子を明かしたのだ。 2002年に辻氏と結婚した中山さんは、翌年にフランス・パリに移住して芸能活動を一時休止。2004年に長男を授かると育児に専念するも、2年後には仕事復帰してパリと東京を往復する生活を始める。 そんなすれ違い生活の影響もあってか、2014年7月に離婚が成立すると『美ST』(2014年10月号、光文社)にて、その理由を《好きな人に出会った》と告白。一部で不倫も報じられた音楽家との交際もオープンにするのだった。 「すっかり“恋愛体質”“自由奔放”など負のイメージが付きまとい、辻さんに親権を譲ったことでさらなる批判に晒された美穂ちゃん。でも1985年のデビュー以降、ずっと芸能界の一線で活躍してきた彼女だけに、突如として家庭を守る生活、それも異国の地での生活にストレスを感じた面はあったと思います」 ちゃんと演技のできる役者だったんだな 中山さんを見守ってきたというベテラン芸能リポーターが擁護するように、彼女にも言い分があったのかもしれない。辻氏とのパリでの夫婦生活はどんなものだったのか、2010年当時、中山さんが連載を持っていた『LEE』(6月号、集英社)で夫婦揃ってのインタビューに応じていた。 中でも気になったのが、夫による妻への“評価”ともとれる発言ーー。 《この人は、息子のお母さんであるだけじゃなく、ちゃんと演技のできる役者だったんだなって。》 《結婚した時、しばらくは家庭の中に女優の中山美穂を持ち込むのはよくないだろうと思っていたんです。》 中山さんの代表作、映画『Love Letter』や『東京日和』を観ていないという辻氏。結婚当初は女優・中山美穂として接することに抵抗があり、数年経ってようやく妻の、長男の母親の演技を観て感動したようだ。 さらには、こんな夫婦のやりとりも“暴露”する辻氏。 《しばらく家を空けて戻ると、この人、犬が待っているみたいに、すごい喜んで迎えてくれるんです。キャインキャインって。ああ、家に帰ってきたんだなあって、僕もうれしい。ふだんは、話しかけても返事もしてくれないから(笑)。》 妻に向かって《超親友だよね。》 彼の“リップサービス”なのだろうか、“飼い犬”に例えられた中山さんからは《そんなことはないです。》とひと言、冷静に否定されてしまった。 「もちろん対談を読み進めると、美穂さんのことを大切に思っている気持ちはわかるんですけども、作家だけに表現の仕方や観点、言葉選びが独特といいますか(笑)。妻に向かって《超親友だよね。》と言い切るのも、女性として見ていなかったのかな。 また、この頃の辻さんはさらさらロングヘアで中性的な外見で、一方でエレガントなファッションの美穂さんと並んでも違和感を覚える夫婦に映りました。性格も好みもバラバラと話していましたが、夫婦としての価値観はすでにズレていたのかも」 そんな“あべこべ夫婦”ぶりが伺える対談ではあるが、中山さんは辻氏との未来を描いていた。当時、パリや東京も含めて“妻が持ち家を持とうとしない”ことを明かされると、中山さんはその理由について、 《老後は沖縄に古い家でも買って、ふたりで過ごせればいいかなと。》 離婚後も長男の母親として、また“親友”として中山さんと接していたであろう辻氏。日記を書けなかった“空白の1日”に、どんな祈りを捧げたのだろうか。